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徳島家庭裁判所 昭和50年(家)506号 審判 1976年1月22日

昭五〇(家)五〇六号申立人 鈴木昭一(仮名)

昭五〇(家)六四四号申立人 武田千代子(仮名)

主文

一  昭和五〇年(家)第五〇六号後見人選任申立事件について本件申立を却下する。

二  昭和五〇年(家)第六四四号親権者変更申立事件について事件本人の親権者を申立人武田千代子に変更する。

理由

第一昭和五〇年(家)第五〇六号事件の申立の趣旨および理由

申立人鈴木昭一は「事件本人の後見人として申立人鈴木昭一を選任する。」との審判を求め、その理由として「申立人は事件本人の父方の叔父であるところ、事件本人の親権者鈴木康己が死亡し、後見が開始したので、事件本人の監護教育のため申立人をその後見人に選任することを求める。」と述べた。

第二昭和五〇年(家)第六四四号事件の申立の趣旨および理由

申立人武田千代子は、主文第二項同旨の審判を求め、その理由として「申立人と鈴木康己とは昭和五〇年三月一七日協議離婚し、その際両名間の長女昭子(事件本人)の親権者を父鈴木康己と定めた。ところが鈴木康己は同年七月三〇日事故のため死亡したので、事件本人の親権者を申立人に変更するとの審判を求める。」

と述べた。

第三当裁判所の判断

一  本件記録中の各戸籍謄本、鈴木洋一作成の上申書、家庭裁判所調査官補寺井則子作成の調査報告書および申立人鈴木昭一の審問の結果等を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  申立人武田千代子(以下単に申立人と略称する)は昭和四五年七月三日鈴木康己(以下康己と略称する)と婚姻し、昭和四六年七月二六日長女昭子を出産したが、夫婦仲に不和を招き、昭和五〇年三月一七日事件本人の親権者を父康己と定めて協議離婚した。しかるに康己は同年七月三〇日午前一〇時頃労災事故により死亡した。

(2)  申立人と康己の夫婦関係が破綻に至つた主たる原因は、康己が仕事にあきやすく、転職を重ね、かつ怠情で欠勤が多いため生活が不安定であり、また日常の生活態度もだらしない面が目立ち、申立人がこれらに不安と嫌悪感を抱いたことによるものである。申立人は昭和五〇年二月康己がまたも転職の意思を示したので、将来の生活不安に耐えきれなくなり、同月七日昭子を連れて家出し、徳島県○○郡××町△△の実家に帰つた。これに対し、康己は申立人に同県××郡○○町△△の自宅に帰宅するよう懇請したが、申立人において康己との同居を強く拒否したため、康己は申立人の不在中昭子のみを自宅に連れ戻り、申立人もこれについては格別の異議を述べなかつた。その後康己の親族等が申立人に対し昭子のために翻意するよう促し、康己も今後は仕事に定着すると反省の態度を示し、また申立人の周囲も子供が可哀想だからといつて円満解決をすすめたが、申立人には康己と離婚する意思が固く、調整は不調に終り、結局申立人と康己は離婚に合意した。その際、昭子の親権者指定については、双方がたがいに監護することを主張して対立したが、特に康己側において当初は離婚に応じず、離婚するならば昭子は鈴木家の後継者として康己が養育するとの意向を強く示していたため、離婚を希望していた申立人側がその妥協条件として親権者を康己に譲るという態度をとつたことも昭子の親権者を父康己と定めた事情のひとつであつたもので、申立人としては必ずしも全面的に離婚後の昭子の監護養育から手をひく考えをもつていたわけではなく、現に、申立人は、上記のとおり康己との別居に際しいつたんは昭子を実家に連れ帰り、離婚話の進行中大阪の病院に勤務して準看護婦の資格を取得し、その間の昭子の監護を大阪府×市に居住する実妹田辺則子に依頼する気持を固め、田辺則子からその同意を得ており、また離婚後も昭子の成長を心配して、数回にわたり子供の衣類、絵本等を送付している。

(3)  申立人は離婚当時婚家先近くの○○医院に見習看護婦として就職しており、離婚後も暫時同医院に勤務していたが、大阪準看護学校に入学するため、昭和五〇年四月一日から肩書地の××医院に住込み、見習看護婦として勤務していた。一方、康己は、同年四月以降昭子を○○町××保育所に入所させ、昭子の保育所への送迎その他日常の監護を近隣に住む両親に依頼し、同町の△△産業株式会社の工員をしていたが、上記のとおり離婚後約四か月後の同年七月三〇日事故死したため、その後は康己の両親が毎夜寝泊りにも来往して全面的に昭子の監護に当ることになつた。申立人は康己の死亡を知つて直ちに昭子を引取る気持になり、同年八月一〇日康己の墓参に帰徳した際昭子にも面会した。しかし康己は昭和四四年父誠一から前記自宅の土地建物の贈与を受け、同年五月分籍して、独立世帯をもつたものであるところから、誠一らは昭子を康己の後継者として将来いわゆる婿養子を迎えて一家を成すまでその手許で監護養育し、傍ら昭子が相続した康己の財産を管理していく必要があるとの態度を固め、申立人とは全く協議をせずに、同年八月七日誠一の二男である農業鈴木昭一(誠一とは同一世帯で同居中)を後見人候補者として本件後見人選任の申立をした。昭子は、両親が結婚以来共稼ぎであつたため、昼間は康己の両親が監護してきたので、乳児の頃からこれによくなつき、誠一らも世帯の一員として昭子に何くれとなく愛情をそそぎ、昭子も現環境に一応無難に安住しており、現在の生活状態は比較的平穏なものといえる。誠一および後見人候補者鈴木昭一の両名と昭子との身分関係および従前の生活関係は上記のとおりであり、両名とも経済的に安定し、家庭状況、健康状態も特に問題点は認め難く、昭子に対し身上監護面での愛情が期待でき、後見職務の遂行能力の点についても特に支障となる点は見当らない。

(4)  他方、申立人は、前記後見人選任申立後の昭和五〇年九月二一日康己の両親に対し昭子を引き取りたい意向を示したが、康己の両親は「昭子に家を継ぎ、亡康己の墓をみてもらいたい」といつてこれを拒否したので、昭子の引取を実現するため同年一〇月一五日本件親権者変更の申立をした。申立人は同月八日大阪市○○○区の××準看護学校に入学し、昭和五二年九月三〇日修了予定である。これを修了すると準看護婦試験の受験資格を得られるが、申立人は高校中退後約一〇年間見習看護婦として修業してきているので、準看護婦試験を受験し合格する確実性は高い。申立人は前記のとおり離婚当時昭子の親権者とならなかつたが、離婚後全く昭子の身を案じなかつたわけではなく、康己の死亡後は一日も早く自分が母親として責任をもち、愛情をもつて昭子を養育したいと希望するに至り親権者となることを切望しており、母子の将来の生計のためにも準看護婦の資格を是非取得したいと考えている。ところで、前記準看護学校に在学中、申立人の生活状況は午前中と午後五時から八時まで前記××医院において勤務し、午後の残り時間中準看護学校に通学することになるので、昭子を引き取つた場合でも手許で直接監護することは不可能である。そのため申立人は、前記のとおり離婚当時も昭子の直接監護を実妹田辺則子に依頼していたので、現在も同様の方法で昭子を養育することを考えており、田辺則子もこの間の事情を知悉し、夫およびその親族にも話して了解を得ており、申立人の希望に全面的に協力する意向を有している。田辺則子は夫、女児二人(五歳と三歳)の家族構成で、夫は○○卸問屋に勤務し、二階建居宅を所有して生活は安定し、家庭も健全で、昭子とは過去何度も会つており、昭子を自分の子供と一緒に幼児園に通園させる予定であり、昭子を事実上監護する上で支障となる点は見当らない。申立人は現在××医院から寮費を控除して月額約八万円余の給与を得ているが、田辺則子に毎月養育料を支払うことにしており、これについても容易に話合が成立する見通しである。また申立人は休祭日には直接昭子を監護し、××医院と田辺則子宅間は近距離であるのでそれ以外の日もできる限り昭子に対する愛情ある接触の機会をつくり、監護教育の責任を果たしたいとの考えをもつている。そして昭和五二年九月三〇日準看護学校修了後、準看護婦の資格を取得できれば、借家して親子で生活し、病院勤務をするか、それが不能の場合には帰徳して実家から通勤する予定であるが現時点では確たる見通しは立つていない。申立人は健康であり、その性格および生活態度等に不全な点は認められない。なお、申立人は現在は一日も早く昭子を手許に引き取りたい一心で、目下再婚の意思を全く有していないが、もし将来再婚する場合でも昭子を自身の連れ子として引続き養育監護することを誓明しており、離婚に際しいつたん昭子を手離したことについては今更ながら反省自戒している。

(5)  昭子の積極財産として亡父康己名義の土地建物および労災保険による遺族補償年金、消極財産として、康己借主名義の自作農創設資金借入金(金額一五〇万円、二〇年均等年賦償還、保証人鈴木誠一、同昭一、現在までの償還金は誠一において支払済み)があり、遺族補償年金のうち死亡一時金一〇〇万円はすでに昭子名義で預金され、誠一らにおいて事実上保管しており、昭子が満一八歳に達するまで支給される年金(年額約二五万円)についても支給決定がなされている。申立人は前記遺族補償年金を将来昭子の学費等に使用したいと考えている以外、財産管理および処分については誠一らの指示に従う意向を示しており、誠一らは、申立人に好感情をもたず、ことに、申立人の昭子に対する監護教育面の姿勢には警戒、不安的であるが、財産管理の職分に関し、申立人が親権を濫用するおそれがあるとまでは見ていないようであり、昭子の福祉を中心に考える限り、財産管理について将来事が混乱することは認め難い。

(6)  本件親権者変更申立に対する康己の両親および後見人候補者鈴木昭一側の意見は「昭子の監護者の問題は離婚の際すでに決定していることであり、いつたん昭子を見捨てた申立人に昭子を引き取る資格はない」というものであり、「昭子は財産としての家がある以上鈴木家の後継者として養育され、亡父康己の祭祀を承継しなければならない」との態度である。

二  先ず親権者変更申立事件について検討する。

(1)  本件申立の許否を決するには、本件事案のごとく離婚の際未成年者の子の単独親権者となつた者が死亡した場合に後見の開始することはいうまでもないが、その場合親権者とならなかつた他方実親が生存しており、新たに親権者となることを希望し、かつその者が未成年者の監護養育にあたることが未成年者の福祉に合すると認められる場合、親権者を死亡した単独親権者から生存する実親に変更する審判が許されるか否かという問題があり、従来分説しているところであるが、当裁判所は、この点につき積極説を相当と考える。

親権も後見もともに子の監護および財産管理を内容とする制度であるが、現行民法上、後見制度は親権の補充的役割を果たすべきものとして規定され、未成年者に父母がある場合には、親権の喪失その他特段の事情がない限り、未成年者の監護教育は、第一次的には父母が共同又は単独で、親権者としてその任に当るという建前がとられており、それは父母の自然の愛情に期待しているからであり、親権者たり得る者をして先ず監護養育を全うさせることの方が、より制度の趣旨に合致し、それが同時に国民感情にも合致するものと考えられる。従つて現行法上親権者変更を認めうる解釈の余地ある限り親権を優先させるべきものであるところ、もともと離婚の際に単独親権者を定めることは、事実上親権の共同行使が不能又は困難であることに対する便宜的措置であり、離婚により親権者とならなかつた者も親権を離婚により失つたものではなく、親権者たりうる適格性(権利能力性)を有しているものであつて、離婚後の親権者死亡の場合、生存親に親権行使者としての適格性がある場合にまで親権の審判による回復を否定する根拠は見当らない。また現に親権者の所在不明を理由とする親権者変更が一般に承認されており、親権の剥奪や辞任により後見が開始した後でも事情により親権が回復することがあり、これらと対比した場合、親権者の死亡という偶然の事実により生存親に親権者となる道を閉ざすことは権衡を失するというべきであるから、民法八一九条六項の類推適用により単独親権者死亡による親権者変更の審判を認めるのが相当である。そして前述のとおり後見を親権の補充的制度と把握する限り、親権者変更につき生存親が子の監護を継続していることを不可欠の要件と解すべきものではなく、また後見人選任の先後により区別する必要もない。かくて同一裁判所に親権者変更と後見人選任の申立が相前後して係属した場合には、裁判所は子の監護、財産管理等の権限を生存親に委ねることが子の福祉に合致すると認めれば先ず親権者変更を優先して認容し、もし生存親が親権者として不適当と認められ、その愛情ある措置を期待できない場合には親権者変更申立を却下して、後見人を選任すべきであり、子の福祉の観点から親権者変更あるいは後見人選任のいずれが適当かにわかに断じ難い場合には、前述の後見の補充的機能よりして、先ず親権者変更の審判を認容すべきものと考える。

(2)  そこで申立人が事件本人昭子の親権者となることがその福祉に適するかどうかを考察すると、前記認定のとおり申立人は亡康己と離婚後昭子と生活を共にしていないし、現在見習看護婦として住込稼働し、かつ準看護学校に通学する身であるので、全面的に昭子の監護教育のみに専念できる態勢が整つているとはいい難く、他方後見人候補者鈴木昭一には後見人として将来昭子の身上を監護し、その財産を管理すべきことにおいて不適当と認めるべき特段の事情は見当らず、昭子は現在前記誠一らの日常監護のもとに一応平穏な生活を送つている様子であり、養育環境の変化による子供の心理的動揺は軽視できないものがあり、現在四歳五ヵ月の昭子の環境を変えることについては慎重に留意しなければならないであろう。しかし本件は離婚の際定められた単独親権者がわずか四ヵ月後に死亡したことに基因する特異な事案であつて、単独親権者の死亡後間もなく後見人選任ならびに親権者変更が相次いで申し立てられており、前記認定のとおり、申立人は離婚時まで約三年八ヵ月間にわたり昭子と同居して、愛情をそそいでいたのであり、その離婚原因についても申立人に有責となる事情は見当らず、離婚に伴う親権者指定の際には、離婚を実現したいあまり、父康己を親権者とすることに合意したものの、離婚後も昭子に対し母親としての心遣いを示し、全く接触が絶たれたわけではなく、特に親権者康己が死亡してからは、一層昭子を手離した罪悪感に芽生え、母親としての責務を自覚して引き取りを熱望し、当分の間常時手許で監護することができないとはいえ、現在実妹やその親族の了解を得て、昭子の監護につきその全面的協力が約束されており、それぞれの生活状況も安定した健全な状態にあるから、申立人に昭子を引取後母親としての愛情ある接触を期待できないとは断ぜられず、かつ本件親権者変更申立が昭子に対する純粋の愛情を動機とすること、生みの母親の愛情としつけを中心とする母子の相互作用は幼児の養育にとつて最も不可欠なものであること、その他上記認定の諸事情を勘案すると、今ここで申立人を親権者とすることにより昭子の身上ににわかに不都合な事態が生ずることは考えられない。また、本件後見人選任申立の背景には、前記認定のとおり、昭子を鈴木「家」の後継者としなければならないという、子供の福祉の観点とは必ずしも相容れないいわば大人側のみの事情があることも見逃せないであろう。以上を比較検討すると、申立人が昭子を手許に引き取ることが実現するまでにはなお日時を要するが、現在一日も早く申立人に昭子の監護教育の責任を委ね、親権者たる母親としての愛情ある接触の機会を身近に保持していくことが昭子の将来の福祉のために最も適するものと認めるのが相当であり、前記認定の親権の趣旨にも合致するものである。

(3)  よつて、本件親権者変更申立を相当と認め(仮に本件の場合後見人選任と親権者変更のいずれが昭子の福祉に合致するかにわかに断じ難い場合にも前説示のとおり親権者変更が優先する)、主文第二項のとおり審判する。

三  次に後見人選任申立事件について判断する。

本件のごとく、単独親権者が死亡した場合に親権者変更の申立があり、これを相当として認容する場合には、同時審判の対象となる後見人選任申立については後見人選任の必要なきものであるから、本件後見人選任申立についてはこれを却下することとし、主文第一項のとおり審判する。

(家事審判官 藤田清臣)

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